1627年(寛永4年)、弘前城の5層の天守は、落雷により発生した火事によって焼失しました。その後、弘前城は長い間、天守を持たない城となりました。これは、幕府が定めた武家諸法度により天守の新造の許可が得られなかったためだと言われています。

弘前城の天守



しかし1810年(文化7年)、幕府は津軽藩に蝦夷地(北海道)の警備を命じ、あわせて新しい天守の造営を認めました。津軽藩は、当時本丸にあった辰巳櫓を改築し、弘前城の天守としました。

下乗橋と弘前城天守



弘前さくらまつり期間中、満開になった桜が散りだし、吹雪のような光景になりました。

弘前さくらまつり、散る桜




回る、回る、回る・・・・。

回転鮨には良く行きます。

でも、ひとりではなかなか行けません。

そんな時はこのスライドショーで・・・・・。

でも、お腹は一杯になりません。

逆にお腹が空くかも・・・・・。

学べばすなわち固ならず

「学べばすなわち固ならず」というのは、勉学に励めば視野も広くなり、考え方も柔軟になるので、かたくなに一つの考えにとらわれることもなくなるということです。

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亀甲門、弘前公園

亀甲門(かめのこもん)は、北側にある門、北門(きたもん)の別名です。由来は、北方の守護神として玄武という亀の神様とされております。 築城後間もなくはこの門が弘前城の正門とされていました。 亀甲門(かめのこもん)、大光寺城 […]

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