津軽の歴史を学ぼう!過去がわかれば、未来も開けてきます。歴史は人々が生きた証です。
津軽は、655年「日本書紀」に、「津苅」「東日流」「津刈」「都加留」と表記されています。
中世には「平賀郡(津軽平賀郡)」「鼻和郡(津軽鼻和郡)」「田舎郡(津軽田舎郡)」に分けられ「津軽三郡」と言われた。
弘前公園。別名は、鷹揚公園(おうようこうえん)、鷹揚園(おうようえん)。
鎌倉時代は北条得宗領として安東氏などが支配したが、14世紀になると、南部氏が支配するようになる。
戦国時代に津軽氏が支配した。近世になると、それまでの「平賀郡」「鼻和郡」「田舎郡」の3郡がまとめられて「津軽郡」となる。
明治維新のあと、青森県の一部となる。1878年(明治11年)、東津軽郡・西津軽郡・南津軽郡・北津軽郡・中津軽郡に分けられた。
1627年(寛永4年)、弘前城の5層の天守は、落雷により発生した火事によって焼失しました。
その後、弘前城は長い間、天守を持たない城となりました。これは、幕府が定めた武家諸法度により天守の新造の許可が得られなかったためだと言われています。
弘前公園内には、二の丸辰巳櫓、二の丸未申櫓、二の丸丑寅櫓があります。
弘前公園内には、杉の大橋、下乗橋、鷹丘橋、波祢橋、春陽橋、賀田橋、亀甲橋、石橋、一陽橋の8つの橋が現存しています。
最勝院五重塔。国の重要文化財指定の五重塔としては日本最北端に位置。
津軽藩の歴史、1590(天正18)年、大浦為信(後の津軽為信)が津軽地方の統一を成し遂げ、豊臣秀吉から津軽3郡の領有を認められました。
4万5千石の領地を得た為信は1594(文禄3)年4月に大浦城から堀越城に移り、藩の基礎作りました。
岩木山神社(いわきやまじんじゃ)は、入り口から参道、楼門、拝殿、本殿。そして奥の院は岩木山山頂にあります。津軽富士とも呼ばれる美しい岩木山のふもとにある神社で、創建約1,200余年の歴史を持っています。
津軽地方には古くから、生まれ年の干支を一代様とする信仰があります。
弘前市(ひろさきし)は、青森県西部の市です。日本で最初に市制を施行した都市のひとつです。
津軽の代表的な食べ物は、何があるのか?
青森県の最高峰岩木山の歴史

匠屋(たくみや)
青森県西津軽郡深浦町関字豊田6-6、匠屋(たくみや)。天然本マグロは、水揚げ高では深浦町が青森県ナンバーワンです。 深浦町産の天然本マグロを三個の小どんぶり(マグロ刺身丼、マグロ片面焼きステーキ丼、マグロ両面焼きステーキ […]

太宰治文学碑、三厩
太宰治は、日本の小説家で、津軽半島を舞台にした小説「津軽」を書きました。 三厩には、太宰治文学碑があります。龍飛崎の麓にある石碑には、「津軽」の中の一文が刻まれています。 ここは、本州の袋小路だ。読者も銘肌せよ。 諸君が […]
最新の投稿・ページ、新規・更新すべてを網羅
最新の投稿
最新のページ
新規・更新をチェック!
すべての投稿・ページの新規、更新を網羅して、一覧表示しています。

鷹丘橋、弘前公園
鷹丘橋とは、弘前公園の内濠に架かる橋で、本丸と北の郭を結んでいます。 鷹丘橋という名は、弘前城の旧名である鷹丘城(高岡城)にちなんだものと思われます。 この橋は1670年(寛文10年)、4代藩主 信政 が母の屋敷のある北 […]