青森県弘前市大字下白銀町1、弘前公園。別名は、鷹揚公園(おうようこうえん)、鷹揚園(おうようえん)。面積は約48.9haです。園内には、弘前城天守(史料館)、弘前市立博物館、弘前市民会館、弘前城植物園があります。春には約50種、2,600本の桜が咲く名所です。

南内門(ミナミウチモン)は、三の丸から杉の大橋を渡ってすぐにあります。

弘前公園、南内門



弘前公園、未申櫓 (ヒツジサルヤグラ)、櫓の名前は、天守から見た方角を12支で示したもので、未申は南西に当たります。

弘前公園、未申櫓 (ヒツジサルヤグラ)



旧藩士の菊池楯衛から1882年(明治15年)に寄贈されたもので、現存するソメイヨシノでは日本最古のものです。弘前公園のソメイヨシノは樹齢100年を越すものが300本以上あります。与力番所 (よりきばんしょ)は、上級武士に仕えていた人々のことを与力といい、その与力が見張り役として警備をした詰所のことです。

与力番所と日本一古いソメイヨシノ



東内門の周辺には、正徳桜やカスミザクラ、内側には日本最古のソメイヨシノなどがあります。

弘前公園、東内門




西濠の春陽橋 (シュンヨウバシ)は、1932年(昭和7年)、市民の通行の利便性のために架橋されました。

春陽橋




弘前公園、鷹丘橋は、内濠を隔て、本丸と北の郭に架かる橋です。

弘前公園、鷹丘橋



弘前公園の正面玄関です。周辺には、弘前市役所、弘前市図書館などがあります。

弘前公園、追手門




東門は、昭和28年(1953年)に、重要文化財指定されました。

弘前公園、東門



北方の守護神として玄武という亀の神様がいたとされており、 北側にある門の別名が亀甲門とされたのは、この伝説に由来していると言われています。

弘前公園、北門(亀甲門)



東門は、昭和28年(1953年)に、重要文化財指定されました。

弘前公園、東門




丑寅櫓 (ウシトラヤグラ)は、城郭に取りつく敵への攻撃や物見のために造られました。櫓の方角は12支を示したもので、丑寅は北東に当たります。

二の丸丑寅櫓と八重桜




秋の紅葉シーズン、敷き詰められた落ち葉を踏みしめながらの散歩道。疲れたらベンチに座ります。

紅葉の弘前公園



弘前公園は、青森県弘前市にある公園で、弘前城の敷地に広がっています。

弘前城は、江戸時代に築かれた三層の天守が現存する貴重な建築物です。



弘前公園は、春には約50種、2,600本の桜が咲く名所としても有名で、毎年「弘前さくらまつり」が開催されます。秋には紅葉も美しく、四季折々の自然を楽しめます。

乳穂ケ滝、冬

青森県中津軽郡西目屋村夏坊台田代、乳穂ケ滝。 乳穂ケ滝は、高さは約33メートルで、白い滝がさらさらと流れ落ちています。 滝の裏側には不動尊が祀られていて、冬には結氷した滝を見て豊凶を占ったり、火渡りをしたりする神事が行わ […]

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摺鉢山

森県弘前市大字清水富田字寺沢125、弘前りんご公園内、摺鉢山。 摺鉢山は、標高708mの人工の山です。 摺鉢山は、江戸時代に鉄砲や大砲の練習の的にするために築いた人工の山です。 山頂からは、りんご公園の全景や、近隣のりん […]

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大浦城址碑

青森県弘前市五代早稲田、大浦城址碑。 大浦城は、大浦光信が津軽進出の拠点として築いた城で、その後、大浦為信(のちの津軽為信)が堀越城に移るまで、4代にわたる大浦氏代々の居城でした。 現在は弘前市立津軽中学校の敷地になって […]

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弥生画、鶴田八幡宮

青森県北津軽郡鶴田町鶴田字生松53、鶴田八幡宮。 弥生画は、五穀豊穣を願って、穀物の種子を一粒ずつ額に貼り付けて作る絵のことです。 全国で唯一、青森県鶴田町で継承されている伝統芸術です。 弥生画の歴史は、天明の大飢饉の時 […]

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工藤善三先生の像

青森県平川市猿賀石林94、猿賀公園内、工藤善三先生の像。 1973年、昭和48年6月16日に建立されました。 青森県で初めてスチューベンというぶどうの栽培を始めた方です。 スチューベンはアメリカ原産のぶどうで、日本では津 […]

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回る、回る、回る・・・・。

回転鮨には良く行きます。

でも、ひとりではなかなか行けません。

そんな時はこのスライドショーで・・・・・。

でも、お腹は一杯になりません。

逆にお腹が空くかも・・・・・。

学べばすなわち固ならず

「学べばすなわち固ならず」というのは、勉学に励めば視野も広くなり、考え方も柔軟になるので、かたくなに一つの考えにとらわれることもなくなるということです。

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与力番所 、弘前公園

与力番所は、江戸時代に城内の主要な箇所の見張り所として配置されたもので、藩政時代には12ヵ所に建てられています 。 建築年代は不明ですが、江戸時代中期に一度改修したものと推定されます。 廃藩以降取り壊されることもなく、そ […]

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