北海道礼文郡礼文町。日本最北の地。礼文島は稚内西方沖60kmの日本海上に位置。面積81.33km2。
北海道礼文町、礼文島の玄関口となる香深港にあるのが香深港フェリーターミナル。稚内港からの利礼航路のハートランドフェリーが発着するフェリーターミナルです。
カランナイ岬は、北海道礼文島の最南端、礼文島知床にあります。礼文島内を南北に縦断している道道40号線の南の終着点です。
香深港は、北海道礼文町、礼文島の玄関口となります。
礼文島はアイヌ語「レプンシリ」に由来し、当て字のようです。
トド島、海驢島(とどじま、とどしま)は、北海道礼文郡礼文町大字船泊村の無人島です。名前の通り、トドが訪れる島です。
スコトン岬は、北海道礼文郡礼文町にある礼文島の岬。漢字表記で「須古頓岬」。目の前に、海驢島(トド島)が見えます。晴れた日には樺太(サハリン)が望めます。
以前は共に最北を名乗っていましたが、測量の結果宗谷岬が「最北端」と判明した為、スコトン岬は「最北限」を名乗るようになりました。
礼文島は日本最北端の北洋の気候ですが、日本海側のため対馬暖流の影響を受け、内陸の気候と比べると比較的温暖です。
オホーツク海から流入する流氷の影響もほとんどなく、夏期は冷涼で冬期は温暖となり、また、本州ほど四季の区別のない気候となっています。
スコトン岬の北にあるトド島がよく見える展望台です。
礼文島は、花の浮島の名の通り、アツモリソウを除いて、通常ならば6月下旬から7月下旬にかけて全島花盛りです。現在は、8月中頃なので、花の時期は過ぎていました、残念。
北海道礼文郡礼文町香深、酒壺食堂。ウニ丼いただきました。丼ウニというのもありました。ウニの上にごはんのっているという、とんでもない丼でした。
桃台猫台、背後に桃岩を眺め、海上に猫岩というのが桃台猫台という名の由来です。展望台から猫岩、確かに猫に見えます。
元地港から地蔵岩間の浜は、メノウ浜と呼ばれ、小指大から親指大ほどのメノウの原石を拾うことが可能です。とくに海の荒れた後ならチャンスも増大するそうです。ちなみ拾っていません、礼文島に来るときフェリーが大揺れしたのですが、残念。
礼文島に来てから、ほぼ曇り、濃霧でした。快晴の時はありませんでした、残念。
1948年5月9日、北海道最北端に近い礼文島の中央部を、幅が1Kmしかないという非常に細い金環帯が通りました。このため礼文島の一部では、たったの1秒だけという、ごく短い金環日食になりました。その時の記念碑として、金環日食観測記念碑が建立されました。
銀山温泉
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水芭蕉群生地
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蔦温泉周辺
青森県十和田市奥瀬字蔦野湯1、蔦温泉旅館。ブナの原生林の中にある。大正時代に建造された本館と、源泉が足元から湧出するヒバの浴槽「久安の湯」が自慢。 青森県十和田市奥瀬、蔦沼・鏡沼・月沼・長沼・菅沼・瓢箪沼・赤沼の7つの沼 […]
弘前城と岩木山
青森県弘前市、弘前城(ひろさきじょう)は、別名・鷹岡城、高岡城。江戸時代に建造された天守や櫓などが現存し国の重要文化財に指定されています。また城跡は国の史跡に指定されている。江戸時代には津軽氏が居城し弘前藩の藩庁が置かれ […]
洋食、喫茶、ティクアウトなど
洋食、喫茶、ティクアウトなど。 青森県五所川原市広田榊森47-3 、グリルストウ。定休日は8月13日、12月31日です。 青森県つがる市柏上古川八重崎35-17 、めるしー。いつもは、チキンカツ定食が定番です。本日は、ハ […]
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青森県弘前市一野渡、座頭石。、齋藤昌美(さいとうまさみ)(1918~1991)顕彰碑、1955年(昭和30年)、青森県の農林省園芸試験所東北支場で開発された「東北7号」(のちの「ふじ」)の普及に努めました。 碑文は、リン […]
津軽金山焼
青森県五所川原市大字金山字千代鶴5-79、津軽金山焼。 津軽金山焼は、1350度の高温でじっくりと焼きあげて固める「焼き締め」の手法で、深みのある独特の風合いをそなえた焼き物です。 土は、金山の大溜池の底に堆積していた良 […]
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青森県つがる市牛潟町鷲野沢147−1、高山稲荷神社。 五穀豊穣、海上安全、商売繁盛の神様として大変ご利益のある神社です。 千本鳥居は、参拝者の奉納によって建てられた鳥居で、願いが「通る」という語呂合わせから生まれた信仰だ […]
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交際の奥の手は至誠(しせい)である。 理にかない調和がとれていればひとりでにうまくいく。 至誠は、これ以上ないほどに誠実であることを意味します。 また、その心やまごころとも言います。 孔子の「中庸」に「至誠之道、可以無成 […]