吉田松陰遊賞之碑

青森県北津軽郡中泊町、吉田松陰遊賞之碑 。嘉永五年(1852年)3月4日吉田松陰が十三湖を訪れていた。

この石碑は、昭和六年に地元有志が建立しましたが、後に倒壊しました。その後、昭和三十九年と平成四年に立て替えられました。

吉田松陰遊賞之碑

吉田松陰は、幕末の志士で、多くの人材を育てた教育者です。

吉田松陰は、嘉永5年(1852年)に東北地方を旅行しました。

そのときに十三湖を訪れ、その美しさに感動しました。

十三湖は、青森県北津軽郡中泊町にある汽水湖で、しじみの産地として有名です。

 

吉田松陰遊賞之碑の由来



吉田松陰が十三湖を訪れたときに詠んだ漢詩は、「瀟湘八景」という題名で知られています。

その漢詩は、昭和6年(1931年)に地元の有志によって石碑に刻まれました。

しかし、その石碑は倒壊し、現在は3代目の石碑が建っています。

その石碑は、「吉田松陰遊賞之碑」と呼ばれています。

吉田松陰遊賞之碑は、日本の近代化に大きな影響を与えた吉田松陰の足跡をたどることができる歴史的なものです。




葛西善蔵文学碑

青森県平川市碇ヶ関三笠山公園内、葛西善蔵文学碑。葛西善蔵は、明治20年1月16日弘前市に生まれました。7歳から15歳まで母の実家がある碇ヶ関で育ちました。 大正7年に短編「子をつれて」を発表しました。大正から昭和にかけて […]

コメントなし

兼平天満宮(かねひらてんまんぐう)様

十二支4番目の卯年の天満宮 守り本尊:文珠菩薩様 呼称:兼平天満宮(かねひらてんまんぐう)様 場所:青森県弘前市兼平山下林添106 慶長8年(1603年)、津軽藩主津軽為信が再興して社殿を修理し、悪病退散を願ったといいま […]

コメントなし

大渕ケ鼻城跡

青森県弘前市石川字平山、大渕ケ鼻城跡。 大渕ケ鼻城跡は、弘前市石川にある石川城(大仏ヶ鼻城)の別名です。 石川城は、南部高信の居城として知られていますが、1571年に津軽為信に攻められて落城しました。  その後は廃城とな […]

コメントなし

垂乳根の銀杏の碑

青森県西津軽郡深浦町北金ケ沢字塩見形356、垂乳根の銀杏の碑。 垂乳根の銀杏は樹齢1000年以上と言われており、垂れ下がった気根が人間の乳房や鍾乳石に似ていることから、垂乳根のイチョウとも呼ばれています。 このイチョウは […]

コメントなし

黒石城址石碑

青森県黒石市内町62、御幸公園内、黒石城址石碑。 黒石城址は、青森県黒石市にある古代の城跡です。 鎌倉時代末期に工藤氏によって築かれたと推定されています。 その後、津軽氏の支配下に入り、津軽為信が隠居城として使用したと言 […]

コメントなし


津軽地方には古くから、生まれ年の干支を一代様とする信仰があります。

たとえば、

十二支1番目の子年の多賀神社 守り本尊:千手観音菩薩様 呼称:目屋の清水観音様 場所:弘前市桜庭清水流104

自分の十二支を捜してみよう!

焦らなくても大丈夫だ

焦らなくても大丈夫だ。だって、案外、自分が気にするほど周りは「あなた」のことなど見ていないし、気にもしてない。 そうかもしれません。 大嫌いなことをおしつけたり、おしつけられたりされても、 逆の立場になればよくわかる。 […]

コメントなし

杉の大橋、弘前公園

杉の大橋は、弘前公園内にある橋の一つで、二の丸と三の丸を隔てる内濠に架かっています。 築城当時はスギ材で作られた架け橋で、戦時には敵の侵入を防ぐために壊される仕組みになっていました。 1821年(文政4年)にヒノキ材によ […]

コメントなし

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    前の記事

    薔薇(バラ)

    次の記事

    山菜肉鍋定食