吉田松陰遊賞之碑

青森県北津軽郡中泊町、吉田松陰遊賞之碑 。嘉永五年(1852年)3月4日吉田松陰が十三湖を訪れていた。

この石碑は、昭和六年に地元有志が建立しましたが、後に倒壊しました。その後、昭和三十九年と平成四年に立て替えられました。

吉田松陰遊賞之碑

吉田松陰は、幕末の志士で、多くの人材を育てた教育者です。

吉田松陰は、嘉永5年(1852年)に東北地方を旅行しました。

そのときに十三湖を訪れ、その美しさに感動しました。

十三湖は、青森県北津軽郡中泊町にある汽水湖で、しじみの産地として有名です。

 

吉田松陰遊賞之碑の由来



吉田松陰が十三湖を訪れたときに詠んだ漢詩は、「瀟湘八景」という題名で知られています。

その漢詩は、昭和6年(1931年)に地元の有志によって石碑に刻まれました。

しかし、その石碑は倒壊し、現在は3代目の石碑が建っています。

その石碑は、「吉田松陰遊賞之碑」と呼ばれています。

吉田松陰遊賞之碑は、日本の近代化に大きな影響を与えた吉田松陰の足跡をたどることができる歴史的なものです。




陸羯南(くが かつなん)文学碑

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大仏公園の石川三十三観音

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大町桂月文学碑、千畳敷

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日本一長い木の橋として架けられました。全長300メートル、三連太鼓橋です。

鶴の舞橋は平成6年7月8日、廻堰大溜池(津軽富士見湖)に、日本一長い木の橋として架けられました。

全長300メートル、三連太鼓橋です。途中には、大小のステージがあります。

二の丸辰巳櫓(にのまるたつみやぐら)、弘前公園

青森県弘前市、弘前公園、二の丸辰巳櫓。 二の丸辰巳櫓(にのまるたつみやぐら)は、弘前公園にある弘前城の櫓(やぐら)の一つです。 櫓とは、城郭に取りつく敵への攻撃や物見のために造られた塔のような建物です。 二の丸辰巳櫓は、 […]

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反対者には反対者の論理がある

反対者には反対者の論理がある。 それを聞かないうちに、いきなりけしからん奴だと怒ってもはじまらない。 問題の本質的な解決には結びつかない。 人の話を良く聞くことが大事です。 それも本人から直接聞くことが大事です。

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