千畳敷海岸隆起生誕200年記念碑

青森県西津軽郡深浦町、千畳敷海岸。千畳敷海岸隆起生誕200年記念に、1993年(平成5年)に建てられました。

千畳敷海岸隆起生誕200年記念碑



千畳敷海岸は、1792年(寛政4年)の地震により隆起してできた海岸段丘です。その昔、津軽藩の殿様が千畳の畳を敷き酒宴を催したといわれています。藩政時代には殿様専用の避暑地で庶民は近づけなかったともいわれています。

千畳敷海岸隆起生誕200年記念碑

碑文は、太宰治「津軽」より、「…私は、心の中でMさんの仕合せを祈り、なほも引きとめられるのを汗を流して辞去し、午後一時の深浦行きの汽車にやつと間に合ふ事が出来た。

木造から、五能線に依つて約三十分くらゐで鳴沢、鰺ヶ沢を過ぎ、その辺で津軽平野もおしまひになつて、それから列車は日本海岸に沿うて走り、右に海を眺め左にすぐ出羽丘陵北端の余波の山々を見ながら一時間ほど経つと、右の窓に大戸瀬の奇勝が展開する。



この辺の岩石は、すべて角稜質凝灰岩とかいふものださうで、その海蝕を受けて平坦になつた斑緑色の岩盤が江戸時代の末期にお化けみたいに海上に露出して、数百人の宴会を海浜に於いて催す事が出来るほどのお座敷になつたので、これを千畳敷と名附け、またその岩盤のところどころが丸く窪んで海水を湛へ、あたかもお酒をなみなみと注いだ大盃みたいな形なので、これを盃沼《さかづきぬま》と称するのださうだけれど、直径一尺から二尺くらゐのたくさんの大穴をことごとく盃と見たてるなど、よつぽどの大酒飲みが名附けたものに違ひない。…」




津軽弁、めぐせ

めぐせというのは、津軽弁では「恥ずかしい」という意味です。私と歩ているのを人に見られたら、めぐさいですか?

コメントなし



千畳敷海岸隆起生誕200年記念碑

青森県西津軽郡深浦町、千畳敷海岸。千畳敷海岸隆起生誕200年記念に、1993年(平成5年)に建てられました。 千畳敷海岸は、1792年(寛政4年)の地震により隆起してできた海岸段丘です。その昔、津軽藩の殿様が千畳の畳を敷 […]

コメントなし

赤い靴とマスク

青森県西津軽郡鰺ヶ沢町大字本町、「赤い靴」記念像。「赤い靴親子三人像」 童謡「赤い靴」のモデルとなった女の子「きみちゃん」の義父鈴木志郎氏が、鯵ヶ沢町出身者であることから、歴史文化遺産を後世に語り継ぐことを目的に建立され […]

コメントなし

45代横綱初代若乃花の像

青森県弘前市大字豊田2丁目3、弘前市運動公園内、青森県武道館内、45代横綱初代若乃花の像。 45代横綱初代若乃花は、青森県弘前市出身で、二所ノ関部屋(後の花籠部屋)に所属した大相撲力士で、身長179cm、体重107kgと […]

コメントなし

前田光世石碑

青森県弘前市船沢字鶴田、前田光世(まえだみつよ)石碑 。ブラジル名「コンデ・コマ」、講道館の男子柔道家(7段)、青森県弘前市船沢出身。

弘前城石垣普請

青森県弘前市下白銀町、弘前城。 弘前城は、江戸時代に建てられました。 弘前城の石垣普請は、2021年6月23日から本格始動し、令和5年度にかけて石垣の積み直し工事が行われています。

コメントなし

弘前さくらまつりの歴史、変遷

青森県弘前市、弘前さくらまつり。毎年弘前公園にて、4月中頃から5月初めまで、開催されます。

弘前さくらまつりの歴史、変遷その1

1715年(正徳5年) - 弘前藩士が25本のカスミザクラなどを京都から取り寄せ、園内に植栽。

1882年(明治15年) - 旧藩士である菊池楯衛が、ソメイヨシノ1,000本を植栽。

1897年(明治30年) - 再び1,000本を植栽。その後も市民の寄付などで植栽される。

人間は考える葦である

「人間は考える葦である」は、フランスの思想家ブレーズ・パスカルの言葉です。 彼の代表作「パンセ」という書物の中にあります。 この言葉は、人間が自然の中で最も弱い存在であることと、思考する能力を持つことで偉大な存在であるこ […]

コメントなし

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    次の記事

    さざえ御飯