青森市大字浜館字科80、ジークフリート。

青い森は、塩味をきかせた、チーズバタークリームを、ふわふわのスポンジにサンドしたものです。

青い森、ジークフリート









収穫の終わったりんご園と岩木山

青森県弘前市鳥井野周辺

深浦町

2005年(平成17年)3月31日深浦町と岩崎村が合併して深浦町となりました。深浦町は、日本海の変化に富んだ美しい海岸線を有し、夕陽の美しい町です。(旧岩崎村)は美しい自然に恵まれ、津軽国定公園”十二湖&#8 […]

津軽のまつりを楽しもう!

津軽のまつりを楽しもう!そして津軽へ行けばもっと楽しい!

鹿内食堂

青森県青森市浪岡樽沢村元315-5、鹿内食堂。定休日は日曜日。

津軽の石碑、忘れ去られるか?

津軽の石碑、忘れ去られるか?

弘前公園の天守

1627年(寛永4年)、弘前城の5層の天守は、落雷により発生した火事によって焼失しました。その後、弘前城は長い間、天守を持たない城となりました。これは、幕府が定めた武家諸法度により天守の新造の許可が得られなかったためだと […]

七十二候(しちじゅうにこう)

七十二候(しちじゅうにこう)とは、古代中国で考案された季節を表す方式のひとつ。二十四節気をさらに約5日ずつの3つに分けた期間のこと。各七十二候の名称は、気象の動きや動植物の変化を知らせる短文になっています。 〇立春、2月 […]

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石川啄木文学碑

青森県青森市、合浦公園内、石川啄木文学碑。 石川啄木は明治40年に青森から函館へ向かう船の中で、船酔いする妹の光子を思って「船に酔ひてやさしくなれる いもうとの眼見ゆ 津軽の海を思へば」という短歌を詠みました。 この短歌 […]

キーズカフェ 弘前樹木店

青森県弘前市樹木5丁目 10-1、キーズカフェ 弘前樹木店 閉店しました。 キーズカフェ 弘前樹木店

太宰治まなびの家

青森県 弘前市 御幸町9-35、太宰治まなびの家。 弘前市指定有形文化財、旧藤田家の住宅です。太宰治(津島修治)が官立弘前高等学校(弘前大学の前身)在学期間中の約3年間下宿していた家です。 藤田家は津島家の親戚筋にあたり […]

黒森山浄仙寺

青森県黒石市南中野字黒森下84-3、黒森山浄仙寺。 浄仙寺は、1824年(文政7年)是空行者(黒石来迎寺良諦の弟子)が開山。森の中には郷土の生んだ文人の文学碑が数多くあり、文学の森と称されています。 黒森山の中腹にある浄 […]

蕪島・種差海岸

蕪島は、種差海岸(たねさしかいがん)の最北に位置し、ウミネコの繁殖地として国の天然記念物に指定されています。 青森県八戸市大字鮫町字鮫56-2、蕪嶋神社。 弁財天をまつり、商売繁盛、漁業安全の守り神として古くから地元の人 […]

青荷温泉

青森県黒石市大字沖浦字青荷沢滝ノ上1の7、青荷温泉。 開湯は、1929年(昭和4年)です。 青荷温泉は、秘境青荷渓谷の渓流沿いに本館と3棟のはなれが散在しています。 ランプの宿として知られ、ひなびた風情の秘湯です。

サツキ

サツキ(皐月)は、ツツジ科ツツジ属に分類される植物で、山奥の岩肌などに自生する。盆栽などで親しまれている。

ライオン岩公園

ライオン岩公園は、 青森県北津軽郡中泊町下前地区へと続く臨海道路「ライオン海道」に隣接しています。

カテゴリー別一覧

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津軽民謡碑

青森県弘前市百沢、岩木山神社境内にある津軽民謡碑。岩木山頂上での津軽三味線演奏と麓の岩木山神社境内にある津軽民謡碑での碑前演奏、そして拝殿での奉納演奏。

どこかへ行こう!旅に出よう!

デジカメを持ってどこかへ行こう!旅に出よう!そして、記録、記憶しよう!

ニリンソウ

ニリンソウ、二輪草。キンポウゲ科イチリンソウ属の多年草。多くは1本の茎から特徴的に2輪ずつ花茎が伸び、和名の由来となっています。




花が咲くまで7年前後の期間が必要とされています。

カタクリ(片栗)は、ユリ科カタクリ属に属する多年草。

カタクリの花には、「初恋」「寂しさに耐える」という2つの花言葉があります。

カタクリの花は、種が根付いてから、花が咲くまで7年前後の期間が必要とされています。

また、多年草ではあるものの、花を咲かせられるのは7回程度とも言われています。

これを知る者は、これを好む者にしかず

これを知る者は、これを好む者にしかず。 これを好む者はこれを楽しむ者にしかず。 理解しているということは好きだということにはかなわない。 好きだということは楽しむこと、満足していることにはかなわない。

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鷹丘橋、弘前公園

鷹丘橋とは、弘前公園の内濠に架かる橋で、本丸と北の郭を結んでいます。 鷹丘橋という名は、弘前城の旧名である鷹丘城(高岡城)にちなんだものと思われます。 この橋は1670年(寛文10年)、4代藩主 信政 が母の屋敷のある北 […]