弘前ねぷた

青森県弘前市、弘前ねぷた。

武者絵どが描かれた扇型や人形型の山車が、太鼓や笛の囃子に合わせて市内を練り歩きます。

弘前ねぷたは、眠気や怠け心を流す「眠り流し」という農民行事から発展したと言われています。

弘前ねぷたが初めて文献に登場したのは、1722年(享保7年)の「御国日記」に5代藩主・津軽信寿が「祢むた」を高覧したという記録です。

2022年(令和4年)には、弘前ねぷたの300年祭が開催されました。

弘前ねぷた

弘前ねぷたの由来には、主に3つの説があります。



弘前ねぷた

眠気や怠け心を流す「眠り流し」という農民行事から発展したという説です。

燈籠などが用いられ、徐々に手が込んできて大掛かりな美麗なものへと進化し、現在の華麗なねぷたに発展してきたといわれています

弘前ねぷた

 

平安時代初期、征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征伐の折、敵をおびき出すために大きな人形を作ったという伝説です。

弘前ねぷた



弘前ねぷた

 

津軽為信説:1593年(文禄2年)に藩祖の津軽為信が上洛中、盂蘭盆会での趣向として二間四方の大燈籠を作らせたという伝承です。

弘前ねぷた

弘前ねぷたの歴史は、記録としては300年ほどあります。

1722年(享保7年)に弘前藩庁の「御国日記」に「祢むた流し」という記述が初めて登場しました。

それ以前にも、弘前藩の藩祖・津軽為信が京都で大型の灯籠を運行したという伝承や、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に大きな人形を作ったという伝説など、様々な説がありますが、確かなことは分かりません。

弘前ねぷたは、眠気や怠け心を流す「眠り流し」という農民行事から発展したと言われています。

その後、七夕やお盆の行事と結びつき、武者絵や人形などが描かれた扇型や人形型の山車に変化していきました。

弘前ねぷたは、重要無形民俗文化財に指定されており、日本の伝統文化として高く評価されています。







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花が咲くまで7年前後の期間が必要とされています。

カタクリ(片栗)は、ユリ科カタクリ属に属する多年草。

カタクリの花には、「初恋」「寂しさに耐える」という2つの花言葉があります。

カタクリの花は、種が根付いてから、花が咲くまで7年前後の期間が必要とされています。

また、多年草ではあるものの、花を咲かせられるのは7回程度とも言われています。

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