案内看板より抜粋。廻堰大溜池の沿革は、古記によると、このため池は岩木山を水源とする白狐沢からの自然流水による貯水池であったものを、万治3年(1660年)に四代藩主津軽信政公が、樋口権右衛門を廻堰大堤奉行に任命し、柏村地方の用水補給のための堤防を築き用水池にしたものと記録されている。その後、豪雨、融雪と自然災害により元禄、寛政、文政、明治、大正と堤防が決壊し、そのたびに大修理が加えられ関係者の苦難は、多大なものであった。しかし、この長期にわたる努力と地域住民の献身的な働きかけにより、国や県の手により提体や取水施設等の整備がなされ現在のため池となっている。貯水量は、1,100万t(直接かんがい面積393ヘクタール、補給面積6,500ヘクタール)をかかえ、満水面積281ヘクタールと県内でも最も大きな人造湖であり、当地域の重要な農業用施設となっている。また、このため池は周囲11kmのうち提長4,178m提高7mと日本でも有数の大きなため池であり、ことに提長に関しては日本一である。ため池にうつる壮大な岩木山の姿から「津軽富士見湖」の名称で親しまれており、また古くから豊富な淡水魚類、野鳥の宝庫として知られている。

廻堰大溜池土地改良区設立十週年記念碑

廻堰大溜池土地改良区設立十週年記念碑


津軽の歴史を学ぼう! 過去がわかれば、未来も開けてきます。歴史は人々が生きた証です。

津軽は、655年「日本書紀」に、「津苅」「東日流」「津刈」「都加留」と表記されています。

中世には「平賀郡(津軽平賀郡)」「鼻和郡(津軽鼻和郡)」「田舎郡(津軽田舎郡)」に分けられ「津軽三郡」と言われた。

彼岸とは

彼岸とは、春分の日・秋分の日を中日(ちゅうにち)として、前後3日間、それぞれ合計7日間のことです。 春分・秋分の日は国民の祝日です。 昼と夜の長さがほぼ同じ日です。 太陽が真東から上り、真西に沈みます。 2024年春の彼 […]

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亀甲門、弘前公園

亀甲門(かめのこもん)は、北側にある門、北門(きたもん)の別名です。由来は、北方の守護神として玄武という亀の神様とされております。 築城後間もなくはこの門が弘前城の正門とされていました。 亀甲門(かめのこもん)、大光寺城 […]

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