橋雲寺

青森県弘前市大字愛宕字山下63、橋雲寺。

橋雲寺は青森県弘前市にある真言宗智山派の寺院で、山号は愛宕山です。

本尊は勝軍地蔵菩薩で、津軽藩祖の津軽為信が津軽統一の際に信仰したと伝えられています。

橋雲寺は津軽弘法大師霊場の第八番札所としても知られており、境内には奥之院や稲荷祠堂などがあります。

辰年や巳年生まれの人の一代守り本尊としても有名で、徳と火難除けにご利益があるとされています。

橋雲寺



橋雲寺、参道

愛宕山大権現

橋雲寺、参道



津軽十景之一の石碑

津軽十景之一とは、津軽地方の景勝地の中で最も美しいとされる10カ所のことです。

目屋渓、座頭石、法峠、弘前公園、乳井神社、岩木山、芦野公園、愛宕山、御幸公園、久渡寺

津軽十景之一の石碑



橋雲寺、参道

橋雲寺、参道



橋雲寺、奥の院

橋雲寺、奥の院



橋雲寺、奥の院

愛宕山の頂上には奥院があり、ここには本尊の「勝軍地蔵」が祀られています。

橋雲寺、奥の院



橋雲寺、奥の院

勝軍地蔵は、地蔵菩薩が甲冑を着て馬に乗った姿で、戦勝や開運などの祈願に応えるとされます。

愛宕権現は、イザナミが垂迹した神で、火伏せや防火などの神徳があります。

橋雲寺、奥の院



橋雲寺の由来

橋雲寺の由来







大渕ケ鼻城跡

青森県弘前市石川字平山、大渕ケ鼻城跡。 大渕ケ鼻城跡は、弘前市石川にある石川城(大仏ヶ鼻城)の別名です。 石川城は、南部高信の居城として知られていますが、1571年に津軽為信に攻められて落城しました。  その後は廃城とな […]

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津軽の歴史

津軽の歴史を学ぼう!過去がわかれば、未来も開けてきます。歴史は人々が生きた証です。 津軽は、655年「日本書紀」に、「津苅」「東日流」「津刈」「都加留」と表記されています。 中世には「平賀郡(津軽平賀郡)」「鼻和郡(津軽 […]

青森銀行記念館

青森県弘前市大字元長町26、青森銀行記念館。 青森銀行記念館は、明治時代に建てられた国の重要文化財に指定されている洋風建築です。  旧第五十九国立銀行の本店として使われていた建物で、白とミントグリーンの美しい外観や、金唐 […]

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黒門、禅林街

黒門は、青森県弘前市西茂森の禅林街にある門です。 黒門は、江戸時代中期に建てられたもので、重厚な造りが特徴です。 弘前市指定有形文化財に指定されています。 長勝寺の総門(表門)として建立されたと考えられています。 長勝寺 […]

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葛西善蔵文学碑

青森県平川市碇ヶ関三笠山公園内、葛西善蔵文学碑。葛西善蔵は、明治20年1月16日弘前市に生まれました。7歳から15歳まで母の実家がある碇ヶ関で育ちました。 大正7年に短編「子をつれて」を発表しました。大正から昭和にかけて […]

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弘前さくらまつりの歴史、変遷

青森県弘前市、弘前さくらまつり。毎年弘前公園にて、4月中頃から5月初めまで、開催されます。

弘前さくらまつりの歴史、変遷その1

1715年(正徳5年) - 弘前藩士が25本のカスミザクラなどを京都から取り寄せ、園内に植栽。

1882年(明治15年) - 旧藩士である菊池楯衛が、ソメイヨシノ1,000本を植栽。

1897年(明治30年) - 再び1,000本を植栽。その後も市民の寄付などで植栽される。

足るを知る

「足るを知る」は、身分相応に満足することを表します。 具体的には、自分が置かれた立場や今の状況に感謝し、物事を十分に受け入れることを意味します。 老子は「知足者富、強行者有志」と書いた箇所で、現代語に訳されて「足るを知る […]

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