青森県 弘前市 御幸町9-35、太宰治まなびの家。

弘前市指定有形文化財、旧藤田家の住宅です。太宰治(津島修治)が官立弘前高等学校(弘前大学の前身)在学期間中の約3年間下宿していた家です。

太宰治まなびの家




藤田家は津島家の親戚筋にあたり、津島修治が暮らした部屋や使用した机などがそのまま残されています。建物は、建築された大正時代の「中廊下型平面」といわれる新しい建築様式で、モダンなものです。新しい建築材を使わず、碇ヶ関村長宅(現青森県平川市碇ヶ関)を移築したものと伝えられています。

太宰治まなびの家








小牧野遺跡

青森県青森市野沢字小牧野、小牧野遺跡は、縄文時代後期前半に作られた環状列石を主体とする遺跡です。 遺跡は、荒川と入内川に挟まれた舌状台地の標高140メートル付近に位置しています。 小牧野遺跡は、青森県青森市にある縄文時代 […]

スズカケノキ

スズカケノキ(鈴掛の木、篠懸の木)は、スズカケノキ科スズカケノキ属の落葉広葉樹。

つるのたまご

青森県北津軽郡鶴田町鶴田小泉537-1、つるのたまご 。定休日月曜日(祝日の場合翌日)

サラリーマンの昼食

サラーリマンの楽しみは何といっても昼食。今日はどこで、ランチ・・・。気分次第、仕事がらみもあり、迷いながらも結局ここかという時もあります。 津軽のラーメンを食べよう! ラーメン、中華そば巡り!青森県弘前市、津軽一円を巡り […]

カエデ

カエデ(槭、槭樹、楓、鶏冠木、蛙手)とはムクロジ科(旧カエデ科)カエデ属 (Acer) の落葉高木の総称。 日本に自生しているカエデの種類は26種類にのぼるとされている。 名前の由来は、葉の形がカエルの手「蝦手」に似てい […]

大町桂月歌碑

弘前市百沢岩木高原・やすらぎの駐車帯道路案内碑、大町桂月歌碑。 碑文は、天つ日を高根に仰ぐみにもなほ浮世の雲のかかりける哉

津軽藩の歴史

1491年、延徳3年、久慈郡(岩手県久慈市)の領主・南部光信(大浦光信)が、種里城に入りました。 三戸南部氏が安藤氏(安東氏)との抗争地帯であった津軽西海岸の掌握をはかるため、一族の光信を種里に派遣したとされています。 […]

黒森山と岩木山

青森県青森市、城ヶ倉大橋周辺より、黒森山と岩木山。 城ヶ倉大橋は、 全長は360メートル、谷底までの高さは122メートルあります。 城ヶ倉大橋周辺からは、八甲田連峰や岩木山などの絶景を眺めることができます。 青森県黒石市 […]

蕎麦処小巾亭 西バイパス店 (こぎんてい)

青森県青森市石江高間38-1、蕎麦処小巾亭 西バイパス店 (こぎんてい)。定休日は木曜日。

リンゴアート、弘前城、岩木山

青森県弘前市弘前公園内、リンゴアート。平成29年10月20日(金)~「弘前城菊と紅葉まつり」の開催に合わせ、約3万5千個を使用し、縦約17m、横幅9mのリンゴアートを制作。デザインは、東洲斎写楽「三世大谷鬼次の奴江戸兵衛 […]

弘前市

弘前市(ひろさきし)は、日本で最初に市制施行地に指定された都市のひとつ。 弘前藩の城下町として発展し、現在も津軽地方の中心都市です。 人口では青森市、八戸市に次ぐ県内3番目の都市。 明治22年の時点では仙台市、盛岡市に次 […]

そば

工藤甲吉 川柳碑

青森県平川市猿賀字石林175、猿賀公園。 工藤甲吉 川柳碑「人生は よいしょこらしょに どっこいしょ」 工藤甲吉は、明治から昭和にかけて活躍した川柳作家で、「人生はよいしょこらしょにどっこいしょ」という名句を残しました […]

蕎麦(そば)、うどん

蕎麦(そば)とは、穀物のソバの実を原料とする蕎麦粉を用いてつくる麺です。材料は、蕎麦粉、つなぎ、水を用いて作られます。デンプンの少ない蕎麦粉は細く伸ばすと千切れやすいため、大抵はデンプンを多く含む小麦粉をつなぎとして混ぜ […]

津軽のまつり

津軽のまつりを一巡り。青森ねぶたまつり、弘前ねぷたまつり、五所川原立佞武多、弘前さくらまつり、 弘前菊ともみじまつり、奥津軽虫と火まつり、 弘前雪燈籠まつり、宵宮など。 弘前さくらまつり

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蔵王、お釜

宮城県、山形県。蔵王連峰は、刈田・熊野岳・五色岳など。お釜は、円型の火口湖で、釜状なのでお釜という名前がついています。湖面はエメラルドグリーンです。

暗門滝(あんもんのたき)

青森県中津軽郡西目屋村、暗門滝(あんもんのたき)は、岩木川上流の白神山地内の暗門川にあります。 暗門滝(あんもんのたき)は、3つの滝から構成されています。 暗門の滝、第一の滝は、一番上流側にあり高さ42メートルです。 暗 […]

元祖しじみラーメン 和歌山 本店

青森県五所川原市十三羽黒崎133-22、元祖しじみラーメン 和歌山 本店。




津軽の歴史を学ぼう! 過去がわかれば、未来も開けてきます。歴史は人々が生きた証です。

津軽は、655年「日本書紀」に、「津苅」「東日流」「津刈」「都加留」と表記されています。

中世には「平賀郡(津軽平賀郡)」「鼻和郡(津軽鼻和郡)」「田舎郡(津軽田舎郡)」に分けられ「津軽三郡」と言われた。

至誠(しせい)の人に

交際の奥の手は至誠(しせい)である。 理にかない調和がとれていればひとりでにうまくいく。 至誠は、これ以上ないほどに誠実であることを意味します。 また、その心やまごころとも言います。 孔子の「中庸」に「至誠之道、可以無成 […]

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与力番所 、弘前公園

与力番所は、江戸時代に城内の主要な箇所の見張り所として配置されたもので、藩政時代には12ヵ所に建てられています 。 建築年代は不明ですが、江戸時代中期に一度改修したものと推定されます。 廃藩以降取り壊されることもなく、そ […]

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