大浦城址碑

青森県弘前市五代早稲田、大浦城址碑。

大浦城は、大浦光信が津軽進出の拠点として築いた城で、その後、大浦為信(のちの津軽為信)が堀越城に移るまで、4代にわたる大浦氏代々の居城でした。

現在は弘前市立津軽中学校の敷地になっており、城址碑と案内板が建てられています。

大浦城址碑

文亀2年(1502年):南部氏の重臣である大浦光信が津軽進出の拠点として古館を改修し、大浦城を築く。子の大浦盛信を置く。

文禄3年(1594年):大浦光信の子孫である大浦為則の婿養子である大浦為信(のちの津軽為信)が本拠地を堀越城に移す。

元和元年(1615年):元和の一国一城令により廃城となる。

ただし、二の丸・本丸・西の丸の土塁は残される。

弘前城の詰城として、西の丸には火薬庫などが建てられる。

大浦城




十五夜

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弘前公園の散策コース

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日本一長い木の橋として架けられました。全長300メートル、三連太鼓橋です。

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全長300メートル、三連太鼓橋です。途中には、大小のステージがあります。

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