大浦城址碑
青森県弘前市五代早稲田、大浦城址碑。
大浦城は、大浦光信が津軽進出の拠点として築いた城で、その後、大浦為信(のちの津軽為信)が堀越城に移るまで、4代にわたる大浦氏代々の居城でした。
現在は弘前市立津軽中学校の敷地になっており、城址碑と案内板が建てられています。
![](https://sintugaru.com/wp-content/uploads/2023/06/20230606_012228939_iOS.jpg)
大浦城址碑
文亀2年(1502年):南部氏の重臣である大浦光信が津軽進出の拠点として古館を改修し、大浦城を築く。子の大浦盛信を置く。
文禄3年(1594年):大浦光信の子孫である大浦為則の婿養子である大浦為信(のちの津軽為信)が本拠地を堀越城に移す。
元和元年(1615年):元和の一国一城令により廃城となる。
ただし、二の丸・本丸・西の丸の土塁は残される。
弘前城の詰城として、西の丸には火薬庫などが建てられる。
![](https://sintugaru.com/wp-content/uploads/2023/06/20230606_012014435_iOS.png)
大浦城
![](https://sintugaru.com/wp-content/uploads/2023/08/20230815_100500199_iOS-320x180.jpg)
お盆、牛馬の飾り
お盆には、ご先祖様の霊が家に戻ってくるという考えから、なすときゅうりで馬と牛を作ってお供えする風習があります。 馬と牛は、あの世とこの世を行き来する乗り物として見立てられています。 馬は足の速いきゅうりで、牛は足の遅いな […]
![](https://sintugaru.com/wp-content/uploads/2019/05/IMG_04562-320x180.jpg)
津軽藩の歴史
1491年、延徳3年、久慈郡(岩手県久慈市)の領主・南部光信(大浦光信)が、種里城に入りました。 三戸南部氏が安藤氏(安東氏)との抗争地帯であった津軽西海岸の掌握をはかるため、一族の光信を種里に派遣したとされています。 […]
![](https://sintugaru.com/wp-content/uploads/2023/09/20230909_040423526_iOS-320x180.jpg)
生誕120年棟方志功展
青森県青森市大字安田近野185、青森県立美術館、生誕120年棟方志功展。 棟方志功展は、版画家・棟方志功の生誕120年を記念して開催される大規模な回顧展です。 棟方志功は「世界のムナカタ」として国際的な評価を得た芸術家で […]