土屋御番所

青森県東津軽郡平内町土屋鍵懸56、ほたて広場内、土屋御番所。

土屋御番所は、江戸時代に黒石藩が設置した口留番所のことです。

口留番所とは、領地の境界にある検問所で、通行人の身分や目的を調べたり、不審者や密輸品を取り締まったりする役目を果たしていました。

土屋御番所は、黒石藩初代藩主津軽十郎左衛門信英が、明暦2年(1656年)に領地境界警備のために設置しました。

黒石藩は、奥州街道沿いにある小さな藩で、領地は約3万石でした。

土屋御番所は、黒石藩平内領の西側にあたる領境にありました。

ここは、南部藩との国境でもありました。

土屋御番所は、奥州街道を通る人々を監視し、黒石藩の安全を守っていました。

明治維新となり、領地制度が廃止されると、土屋御番所も必要なくなりました。

明治2年(1869年)6月に廃止されました。

現在は、平内町の土屋地区にその跡が残っています。

そこには、土屋御番所の由来や歴史を説明する看板が立っています。

土屋御番所由来







栃ノ海像

青森県南津軽郡田舎館村田舎舘字中辻123-1、田舎館村役場内、栃ノ海像。 栃ノ海は、日本相撲協会の第49代横綱で、青森県南津軽郡田舎館村出身の元大相撲力士です。 本名は花田茂広(はなだしげひろ)で、現役時代は春日野部屋に […]

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四季の蔵もてなしロマン館

青森県平川市猿賀石林10-1、四季の蔵もてなしロマン館。 猿賀公園や国名勝に指定されている「盛美園」、「清藤氏書院庭園」に隣接しています。

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最勝院五重塔

青森県弘前市銅屋町、最勝院五重塔。国の重要文化財指定の五重塔としては日本最北端に位置。 寛文7年(1667年)に完成した旧大円寺の塔で、総高31.2メートルである。 津軽藩3代藩主津軽信義、4代津軽信政の寄進により、前後 […]

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大浦城址碑

青森県弘前市五代早稲田、大浦城址碑。 大浦城は、大浦光信が津軽進出の拠点として築いた城で、その後、大浦為信(のちの津軽為信)が堀越城に移るまで、4代にわたる大浦氏代々の居城でした。 現在は弘前市立津軽中学校の敷地になって […]

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新坂、弘前市

慶長8年(1603)に弘前(当時の高岡)の町づくりが開始されました。 慶長16年(1611)弘前城が完成する津軽藩政時代初頭、上町(城の東側)と下町(城の西側)は、亀甲紺屋町街道と新町坂とで結ばれていました。 また、当時 […]

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花が咲くまで7年前後の期間が必要とされています。

カタクリ(片栗)は、ユリ科カタクリ属に属する多年草。

カタクリの花には、「初恋」「寂しさに耐える」という2つの花言葉があります。

カタクリの花は、種が根付いてから、花が咲くまで7年前後の期間が必要とされています。

また、多年草ではあるものの、花を咲かせられるのは7回程度とも言われています。

ヤマセ

「ヤマセ」は、北日本の(主に東北地方)太平洋側で春から夏(5月から9月)に吹く冷たく湿った北東の風を指します。 この風は寒流の親潮の上を吹き渡ってくるため、冷たく、水稲を中心に農産物の生育と経済活動に大きな影響を与えます […]

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亀甲門、弘前公園

亀甲門(かめのこもん)は、北側にある門、北門(きたもん)の別名です。由来は、北方の守護神として玄武という亀の神様とされております。 築城後間もなくはこの門が弘前城の正門とされていました。 亀甲門(かめのこもん)、大光寺城 […]

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