竹内清明君像
青森県黒石市南中野不動舘27、中野神社境内、竹内清明君像。
竹内清明は、明治から大正時代の政治家、実業家、新聞経営者であり、青森県黒石市出身です。
岩木川の改修や八戸港の整備など、青森県の発展に尽力しました。
また、彼は私設知事とも呼ばれ、青森県において政治家としての影響力が大きかったことでも知られています。
竹内清明は政友会総裁の原敬からの信頼を得、五能線の開通、青森築港、八戸鮫港修築、県農業試験場の誘致など多くの事業を進めました。
竹内清明は、1858年5月4日に弘前藩士・竹内多作の長男として弘前城下(現在の青森県弘前市)に生まれました。
廃藩後に一家は南津軽郡浅瀬石村(現在の黒石市)へ移住し、ついで黒石町に住みました。
1877年に西南戦争に参加し、その帰郷の際に政治家を志しました。
1886年に黒石の政治結社益友会の常任書記に任じられたほか、東津軽郡書記、戸長、山形村長、南津軽郡会議員などを歴任しました。

竹内清明像
弘前さくらまつりの歴史、変遷
青森県弘前市、弘前さくらまつり。毎年弘前公園にて、4月中頃から5月初めまで、開催されます。
弘前さくらまつりの歴史、変遷その1
1715年(正徳5年) - 弘前藩士が25本のカスミザクラなどを京都から取り寄せ、園内に植栽。
1882年(明治15年) - 旧藩士である菊池楯衛が、ソメイヨシノ1,000本を植栽。
1897年(明治30年) - 再び1,000本を植栽。その後も市民の寄付などで植栽される。
雀の子が飛びたいと思っている
雀の子飛ばんとしては 飛ばんとす 佐藤紅禄の俳句です。 佐藤紅禄は、青森県弘前市生まれの俳人・劇作家・小説家です。 雀の子が飛びたいと思っているが、まだ飛べない、 雀の子の飛びたいという気持ちと飛べない現実があります。 […]

