黒石神社

青森県黒石市市ノ町20、黒石神社。

この神社は、黒石藩の祖である津軽信英公を祭神としています。

明治時代に現在地に社殿を建て、江戸時代の廟門を神門として移築しました。

例大祭は7月22日に行われます。

黒石神社



黒石神社神門は、藩政時代の黒石陣屋跡にあった門で、明治12年(1879年)に現在の場所に移築され、黒石神社の神門となりました。

神門は薬医門形式で建てられており、扉および蹴放はないが、黒石神社に神門の一部と思われる扉2枚が保存されています。

この神門は、江戸時代の建築物としては唯一の遺構となっており、貴重な文化財です。

黒石神社神門

平成17年、黒石鳥居が建立されました。

黒石鳥居は、藩祖津軽信英公の分知350年を記念して建立されたもので、高さは約8メートル、幅は約6メートルあります。

黒みかげ石という硬質な花崗岩でできており、耐震性に優れています。

鳥居の上部には「黒石神社」と刻まれています。

黒石神社鳥井

分知350年とは、黒石藩の祖である津軽信英公の分知から350年が経過したことを記念する言葉です。

分知とは、武家の知行(所領)の一部を親族に分与することです。

津軽信英公(つがるのぶふさこう)は、慶長5年(1600年)に父・津軽為信公から陸奥国津軽郡の内、黒石城下を含む1万石を分知されました。

これが黒石藩の始まりです。



津軽信英公は、弘前藩2代藩主・津軽信枚の次男として生まれ、幕府小姓組や書院番などに出仕しました。

弘前藩3代藩主・津軽信義の死後、その子・津軽信政の補佐を命じられました。

信英公は、黒石に陣屋を築き、町造りや殖産振興に努めました。

また、山鹿素行に儒学や兵学を学び、弘前藩の家訓や法度を制定しました。

寛文2年(1662年)に黒石を巡察中に病に倒れ、弘前城で死去しました。

享年43。

明治12年(1879年)、元陣屋内の信英霊廟を移し黒石神社として祀られました。




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カタクリの花には、「初恋」「寂しさに耐える」という2つの花言葉があります。

カタクリの花は、種が根付いてから、花が咲くまで7年前後の期間が必要とされています。

また、多年草ではあるものの、花を咲かせられるのは7回程度とも言われています。

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