太宰治記念館・斜陽館

青森県五所川原市金木町朝日山412-1、太宰治記念館・斜陽館。

斜陽館は、太宰治の生家であり、1907年(明治40年)に父・津島源右衛門によって建てられた豪邸です。

和洋折衷の建築で、国の重要文化財に指定されています。

太宰治はこの家で幼少期を過ごし、戦時中にも疎開して文筆活動を続けました。

小説「思ひ出」や「津軽」などにもこの家のイメージが反映されています。

太宰治記念館・斜陽館



太宰治記念館・斜陽館

斜陽館は、1948年(昭和23年)に農地改革によって津島家の手を離れました。

その後、旅館として太宰ファンに親しまれましたが、1996年(平成8年)に金木町(現・五所川原市)が買い取り、太宰治記念館として再オープンしました。

 



太宰治記念館・斜陽館

斜陽館は、木造2階建てで、青森ヒバをふんだんに使用しています。

外観は和風ですが、内部には洋風の要素も取り入れられています。

主屋のほかに、文庫蔵・中の蔵・米蔵などの大型の土蔵や長大な煉瓦塀などがあり、屋敷構え全体がほぼ当時のまま保存されています。



太宰治記念館・斜陽館






黒門、禅林街

黒門は、青森県弘前市西茂森の禅林街にある門です。 黒門は、江戸時代中期に建てられたもので、重厚な造りが特徴です。 弘前市指定有形文化財に指定されています。 長勝寺の総門(表門)として建立されたと考えられています。 長勝寺 […]

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青森県武道館

青森県弘前市大字豊田2丁目3、弘前市運動公園内、青森県武道館。 弘前市スポーツ協会が指定管理者として管理運営を行っています。 青森県武道館は、各種武道の錬成の場や大会会場として利用できるほか、武道以外の各種スポーツや文化 […]

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津軽藩の歴史

1491年、延徳3年、久慈郡(岩手県久慈市)の領主・南部光信(大浦光信)が、種里城に入りました。 三戸南部氏が安藤氏(安東氏)との抗争地帯であった津軽西海岸の掌握をはかるため、一族の光信を種里に派遣したとされています。 […]

古懸山不動院国上寺

青森県平川市碇ヶ関古懸門前1-1、古懸山不動院国上寺(こがけやまふどういんこくじょうじ)は、真言宗智山派の寺院で、津軽三不動の一つに数えられます。 ここの不動明王像は座っている姿から「ねまり不動」とも呼ばれ、酉年生まれの […]

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大浦城址碑

青森県弘前市五代早稲田、大浦城址碑。 大浦城は、大浦光信が津軽進出の拠点として築いた城で、その後、大浦為信(のちの津軽為信)が堀越城に移るまで、4代にわたる大浦氏代々の居城でした。 現在は弘前市立津軽中学校の敷地になって […]

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弘前さくらまつりの歴史、変遷

青森県弘前市、弘前さくらまつり。毎年弘前公園にて、4月中頃から5月初めまで、開催されます。

弘前さくらまつりの歴史、変遷その1

1715年(正徳5年) - 弘前藩士が25本のカスミザクラなどを京都から取り寄せ、園内に植栽。

1882年(明治15年) - 旧藩士である菊池楯衛が、ソメイヨシノ1,000本を植栽。

1897年(明治30年) - 再び1,000本を植栽。その後も市民の寄付などで植栽される。

暑さ寒さも彼岸まで

「暑さ寒さも彼岸まで」には深い意味が込められています。 厳しい暑さや寒さが彼岸まで続くが、その後は過ごしやすくなるという意味を持ちます。 また、大変な時期があったとしても、ある時期を過ぎると解決していくということも表しま […]

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