下田実花(しもだじっか)句碑

青森県平川市、猿賀公園内、下田実花(しもだじっか)句碑。

下田実花は、ねぷた祭りを見て感動し、次の句を詠みました。

句碑:見得きりて廻りまわれるねぷたかな

この句は、平成元年(1989年)に猿賀神社に句碑として建立されました。

 句碑には、下田実花の経歴も刻まれています。

下田実花(しもだじっか)句碑

下田実花(しもだじっか)は、明治40年(1907年)に生まれた俳人で、山口誓子の妹です。

4歳で母を亡くした実花は、兄や姉妹と別れて歌舞伎役者の養女になり、その後下田家の養女になりました。

15歳で芸者になり、新橋で「立三味線、哥沢(うたざわ)の名手」として活躍しました。

昭和10年(1935年)に高浜虚子の門下に入り、俳句を始めました。

昭和20年(1945年)にはホトトギスの同人となりました。

 戦後は「艶寿会」を開き、新橋の芸者たちに俳句を教えました。

実花は一茶や誓子の句を好み、写生文や自然観に優れた句を詠みました。






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大町桂月文学碑、千畳敷

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青森県弘前市銅屋町、最勝院五重塔。

国の重要文化財指定の五重塔としては日本最北端に位置。

寛文7年(1667年)に完成した旧大円寺の塔で、総高31.2メートルである。

津軽藩3代藩主津軽信義、4代津軽信政の寄進により、前後10年以上をかけて建立されました。

40、50は鼻垂れ小僧

40歳、50歳は鼻垂れ小僧、 60歳、70歳は働き盛り、 90歳になって迎えが来たら、 100歳まで待てと追い返せ。 渋沢栄一の名言より その年にならないとわからないけれど、 わかる気がする。 人生50年ではありません。 […]

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丑寅櫓(うしとらやぐら)、弘前公園

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