黒石城址石碑

青森県黒石市内町62、御幸公園内、黒石城址石碑。

黒石城址は、青森県黒石市にある古代の城跡です。

鎌倉時代末期に工藤氏によって築かれたと推定されています。

その後、津軽氏の支配下に入り、津軽為信が隠居城として使用したと言われています。

江戸時代には、弘前藩から分知された黒石津軽家の陣屋が置かれました。

文化6年(1809年)には、黒石藩として立藩しましたが、明治維新後に廃藩となりました。

現在の城址は、浅瀬石川の洪水や開拓で破壊されたため、遺構はほとんど残っていません。

黒石城址



黒石藩の陣屋は、青森県黒石市にあった城跡です。

別名、黒石城や烏城とも呼ばれています。

弘前藩から分知された旗本黒石津軽家の居館でした。

1656年に津軽信英によって築かれ、1809年には1万石を領して大名となりました。

しかし、1871年の廃藩置県で廃城となりました。

現在の陣屋跡は、市民文化会館や中央スポーツ館の敷地などとなっています。

馬場跡は御幸公園として整備されています。

遺構はほとんど残っていませんが、空堀跡がわずかに残っています。

黒石城址







久渡寺

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青森県弘前市、弘前ねぷた。 武者絵どが描かれた扇型や人形型の山車が、太鼓や笛の囃子に合わせて市内を練り歩きます。 弘前ねぷたは、眠気や怠け心を流す「眠り流し」という農民行事から発展したと言われています。 弘前ねぷたが初め […]

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