沼田面松斎像

 青森県弘前市新町247、誓願寺内、沼田面松斎(ぬまためんしょうさい)像。誓願寺は、浄土宗のお寺です。

誓願寺には、津軽為信公の家臣であり、軍師と呼ばれた沼田面松斎のお墓があります。

沼田面松斎像



沼田面松斎は初代藩主・津軽為信公の軍師として、京都と同様「四神相応」を目指し、弘前城の城地選定や町割りをした人物です。

沼田面松斎像



沼田面松斎(ぬまためんしょうさい)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将で、津軽家の家臣でした。

本名は沼田祐光(ぬまたすけみつ)といいます。津軽為信(つがるためのぶ)公の軍師として活躍したといわれています。



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もつけとは「おだてにのる人」や「お調子者」や「道化師」という意味の津軽弁です。あなたは私をもつけだと思っているのですか?

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津軽為信公の像

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赤田のアカマツ

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今日はどこで、ランチ・・・。

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自由でいるには 自分で責任が取れなければいけない

自由でいるには 自分で責任が取れなければいけない。 自由とは、自分の行動や選択に対して責任を持つことを含んでいます。 自由は、自分自身の意志で行動する能力を意味しますが、それは同時に、その結果に対する責任も伴います。 し […]

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