論語(ろんご)は、孔子とその高弟の言行を、孔子の死後に弟子が記録した書物。




儒教の経典である経書の一つで、朱子学における「四書」の一つ。

その内容の簡潔さから儒教入門書として広く普及し、中国の歴史を通じて最もよく読まれた本の一つ。

・一を聞いて十を知る

一端を聞いただけで全体を理解すること。理解が早く聡明であること。

牛刀をもって鶏を割く

小さなことを処理するのに大げさな手段を用いること

過ちて改めざるをこれ過ちという

過ちを犯しても改めないことこそが、真の過ちである

過ぎたるは猶お及ばざるが如し

適当な程度を超えているのは、不足と同じ。中庸が大切であるたとえ




憤(ふん)せずんば啓せず。非(ひ)せずんば発せず。一隅を挙げてこれに示し、三隅を以て反えらざれば、則ち復たせざるなり。

心に理解できなくて、憤り奮い立つほどでなければ、教え導かない。自発的にやろうとしない者には教えない

自分で悩み、考えない者には指導しない。自分の考えをなんと言ったら良いか解らないというくらいでなければヒントは与えない。一を教えたら三倍の答えや疑問を返してくるのでなければ二度と教えない。

知識や学問、仕事も自分の頭で咀嚼しなければ身につくはずはない。

要するにモチベーション・目的意識・義務感・好奇心、なんでも良いが、それらの強い動機を維持する事こそが大切。

径(こみち)によらず

小道を通らないで、大道を行く。人生においては近道をしないで、正直にしたがい歩む

性相い近し、習い相い遠し

人間は生まれつきの天性はたいして差がないが、後天的な習慣によって大きく違ってくる

徳は孤ならず

徳のあるものは、決して孤立することはなく、必ず従う者、助ける者がいる

和して同ぜず

人と仲良く打ち解けても、道理に背いてまで人にへつらわないこと

人知らずして慍(うら)みず、亦(ま)た君子ならずや。

自分の事を理解してもらえなくても、私はそれを恨まず、憎まず、気にしないのは、徳の高い君子ではないか。

徳の高い人は、他人に自分の良さを理解してもらえなくても、気にしないもの

人の己を知らざるを患(うれ)えず、人を知らざるを患うるなり。

自分をわかってもらえいないと嘆くより、人を理解していないことを気にかけなさい

力足らざる者は、中道にして廃す。今汝は限れり。

本当に力が足りない者なら、やれるだけやって途中で力を使い果たしてやめることになるはずだ。しかし、お前はまだ全力をつくしていない。今おまえは、自分で自分の限界をあらかじめ設定して、やらない言い訳をしているのだ。

異端を攻(おさ)むるは斯(こ)れ害あるのみ。

自分と異なる考えを持つ人を攻撃しても、害があるばかりだ
自分と違う意見を持つ人こそ、自分を成長させてくれる存在です。




吾(われ)十有五(じゅうゆうご)にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順(した)がう、七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず

私は十五才で学問を志し、三十才で自立し、四十才で物事の道理がわかり、心の迷いがなくなった。五十才には天から与えられた使命を自覚し、六十才で誰の言うことでも素直に聞けてすぐに理解できるようになり、七十才で自分の思いのままに行動しても、人の道を外れることがなくなった。

志学・而立(じりつ)・不惑・知命・耳順・従心はそれぞれ15歳・30歳・40歳・50歳・60歳・70歳という年齢を表し、人生の節目における指針。

巧言(こうげん)令色(れいしょく)鮮(すくなし)仁(じん)

言葉が巧みで外見を装うタイプの人間には、他者を愛する気持ちは少ないものだ

後世畏(おそ)るべし

若い者を侮ってはならない

任重くして道遠し

使命は重く道は遠い

これを知る者は、これを好む者にしかず。これを好む者はこれを楽しむ者にしかず。

理解しているということは好きだということにはかなわない。好きだということは楽しむこと、満足していることにはかなわない

徳、孤ならず。必ず隣あり

徳ある人が孤立することはない。必ず理解者が現れる




弘前市(ひろさきし)は、日本で最初に市制施行地に指定された都市のひとつ。

弘前藩の城下町として発展し、現在も津軽地方の中心都市です。

弘前市の木として「りんご」、市の花として「さくら」を選定しています。

生まれながらに才能のある者

生まれながらに才能のある者は、それを頼んで鍛錬を怠る、自惚れる。 生まれつきの才能がない者は、何とか技術を身につけようと日々努力する。 心構えがまるで違う。 これが大事だ。

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亀甲門、弘前公園

亀甲門(かめのこもん)は、北側にある門、北門(きたもん)の別名です。由来は、北方の守護神として玄武という亀の神様とされております。 築城後間もなくはこの門が弘前城の正門とされていました。 亀甲門(かめのこもん)、大光寺城 […]

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