弘前城雪灯篭まつりのミニかまくらと岩木山。夜間にはライトアップされます。

ミニかまくらと岩木山




弘前城雪灯篭まつり期間中、ミニかまくらに灯がとみります。

弘前城雪灯篭まつり、ミニかまくら









暗門の滝への道

青森県中津軽郡西目屋村、暗門滝(あんもんのたき)への道は、岩木川上流の白神山地内の暗門川にあります。※2016年から暗門の滝散策道は、整備・管理を一切行わない方針になったそうです。散策道は閉鎖されたわけではないですが、途 […]

ご挨拶

気ままに撮影した青森県津軽の風景を中心に紹介します。 気ままに撮影した津軽の風景、四季を彩る津軽のまつり、食べる楽しみ津軽の食彩、隅々まで巡る津軽の街並み、古の人々の記録津軽の石碑、青森県の最高峰の岩木山、未来が見えてく […]

そば処かふく亭

青森県弘前市馬屋町24-1、そば処かふく亭。定休は毎週月曜日。月曜日が祭日の場合は火曜日が店休日となります。

大鰐温泉つつじまつり

青森県南津軽郡大鰐町、県立自然公園、茶臼山公園、大鰐温泉つつじまつり。毎年5月の下旬に開催されます。

オミナエシ

オミナエシ(女郎花)は、合弁花類オミナエシ科オミナエシ属 の多年生植物。秋の七草の一つとして、古くから親しまれている。別名は、敗醤(はいしょう)ともいう。

鶴の舞橋と岩木山

青森県北津軽郡鶴田町、津軽富士見湖より 全長300mの鶴の舞橋と岩木山

北海道、利尻町

北海道利尻郡利尻富士町、利尻町。利尻島は稚内西方沖53kmの日本海上に位置。面積182.11km2のほぼ円形の島。 島中央には標高1,721mの「利尻山」、別名「利尻富士」 利尻へは、フェリーで行きます。

麺処 中むら

青森県平川市柏木町東田313-3 、麺処 中むら。定休日は、月曜日(祝日の場合は翌日休み)

三升屋(みますや)

青森県弘前市取上2-1-15、三升屋。閉店しています。

弘前市

弘前市(ひろさきし)は、日本で最初に市制施行地に指定された都市のひとつ。 弘前藩の城下町として発展し、現在も津軽地方の中心都市です。 人口では青森市、八戸市に次ぐ県内3番目の都市。 明治22年の時点では仙台市、盛岡市に次 […]

更新情報

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京都市

京都市は、延暦13年(794年)に日本の首都になった平安京を基礎とする都市で、明治天皇が東京に行幸するまでの約1080年に渡って皇室および公家が集住したため「千年の都」と呼ばれています。 金閣寺は、京都市北区金閣寺町にあ […]

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和食

黒森山浄仙寺

青森県黒石市南中野字黒森下84-3、黒森山浄仙寺。 浄仙寺は、1824年(文政7年)是空行者(黒石来迎寺良諦の弟子)が開山。森の中には郷土の生んだ文人の文学碑が数多くあり、文学の森と称されています。 黒森山の中腹にある浄 […]

擂鉢山山頂からの岩木山

青森県弘前市大字清水富田字寺沢125番地、弘前市りんご公園。 りんご生産日本一、弘前の憩いの広場。 無料施設。園内散策自由。 りんごの知識が豊かになります。 擂鉢山は嘉永元年に人夫9854人の人手により作られた標高83m […]

ドライブイン汐風

青森県西津軽郡鰺ヶ沢町赤石町大和田38-1、 ドライブイン汐風。焼きイカ通りにあり、海が見えるドライブインです。 鰺ヶ沢町ヒラメのヅケ丼は、新しい名物です。 鰺ヶ沢町ヒラメは、1年を通して水揚げされます。特に旬は、12月 […]

つるのたまご

青森県北津軽郡鶴田町鶴田小泉537-1、つるのたまご 。定休日月曜日(祝日の場合翌日)

そば処 鬼面庵

青森県青森市荒川南荒川山国有林酸湯沢50番地、酸ヶ湯温泉内そば処 鬼面庵。生姜味噌筍おでんは、生姜味噌だれと特産の根曲り竹を入れるのが特徴となって現在も名物となっています。

昼はラーメンだね!

青森県弘前市豊田1-1-2、緑屋。定休日は、水曜日。 青森県弘前市一町田村元794-12 、いわき食堂。定休日は、火曜日。 青森県青森市浪岡浪岡細田107-3、うの食堂。定休日は月曜日。 青森県弘前市撫牛子1-3-6、た […]




回る、回る、回る・・・・。

回転鮨には良く行きます。

でも、ひとりではなかなか行けません。

そんな時はこのスライドショーで・・・・・。

でも、お腹は一杯になりません。

逆にお腹が空くかも・・・・・。

彼岸とは

彼岸とは、春分の日・秋分の日を中日(ちゅうにち)として、前後3日間、それぞれ合計7日間のことです。 春分・秋分の日は国民の祝日です。 昼と夜の長さがほぼ同じ日です。 太陽が真東から上り、真西に沈みます。 2024年春の彼 […]

コメントなし

杉の大橋、弘前公園

杉の大橋は、弘前公園内にある橋の一つで、二の丸と三の丸を隔てる内濠に架かっています。 築城当時はスギ材で作られた架け橋で、戦時には敵の侵入を防ぐために壊される仕組みになっていました。 1821年(文政4年)にヒノキ材によ […]

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