青森県西津軽郡鰺ヶ沢町は日本海に面し、およそ 東西22km、南北40kmに及び総面積は343.08km2 です。町の花は、はまなす。町の木は、けやき。町の鳥は、うぐいす。1491年には津軽藩始祖大浦光信公が種里に入部し、藩政時代には津軽藩の御用港として栄えました。現在の鰺ヶ沢は、昭和30年に鰺ヶ沢町、赤石村、中村、鳴沢村、舞戸村の1町4ヵ村が合併して誕生したものです。

津軽藩発祥の地
光信公は種里城を居城としました。そして津軽平野に進出して大浦城を築城し、津軽統一の礎をつくりました。2代盛信公、3代政信公、4代為則公と地歩を固めて着々とその勢力を伸ばし、5代為信公(初代津軽藩主)により津軽統一がなされました。

津軽藩発祥の地、光信公の館
鎧兜に身を固めた光信公の銅像、津軽家の家紋にちなんで800本のぼたんが植えられています。、毎年5月下旬には、ぼたん祭りが行われています。

津軽藩発祥の地、光信公の館
生干ししたイカをさっと焼いて売る焼きイカ店が並び、焼きイカ通りとよばれています。

鰺ヶ沢町、焼きイカ通り
「鰺ヶ沢ヒラメのヅケ丼」は、鰺ヶ沢で獲れた新鮮なヒラメをタレに漬け込んでヅケにしたものです。鰺ヶ沢町の新名物です。

ドライブイン汐風、ヒラメのヅケ丼

お食事処花りんご
青森県南津軽郡大鰐町大字大鰐字川辺11-11、お食事処花りんご 。 大鰐温泉もやしには、「豆もやし」と「そばもやし」の二種類があります。 豆もやしは 「小八豆(こはちまめ)」 という大豆の品種です。 そばもやしは、そばの […]

カフェ・ド・アヴェニール
青森県青森市新町2丁目2−11、東奥日報新町ビル2F、Café de Avenir(カフェ・ド・アヴェニール)。 Café de Avenir、ふあとろオムライス Café de Avenir、ふあとろオムライス Caf […]

陸羯南(くが かつなん)文学碑
青森県弘前市狼森、大狼神社裏山鷲巣山、 陸羯南文学碑。 陸羯南は、日本の国民主義の政治評論家。日本新聞社長。 碑文は、 名山出名士 (名山名士を出す) 此語久相伝 (この語久しく相伝う) 試問巖城下 (試みに問う巖城の下 […]

摺鉢山と岩木山
青森県弘前市、リンゴ公園内、摺鉢山と岩木山。 摺鉢山は、江戸時代に鉄砲、大砲の練習の的にするために築いた人工の山です。頂上からは、りんご公園の全景と、近隣のりんご園、南に久渡寺、南西に白神山地、西に岩木山、北に津軽山地と […]

五箇山合掌の里
富山県五箇山地方。五箇山合掌の里は、険しい山岳地帯だったゆえに秘境とも呼ばれ、伝統的な合掌造りをはじめ、いにしえの景観や文化が今でも大切に守られています。 移築された合掌造りが13棟あり、五箇山での伝統的な生活を実際に体 […]

津軽金山焼
青森県五所川原市大字金山字千代鶴5-79、津軽金山焼。 津軽金山焼は、1350度の高温でじっくりと焼きあげて固める「焼き締め」の手法で、深みのある独特の風合いをそなえた焼き物です。 土は、金山の大溜池の底に堆積していた良 […]

浅瀬石川ダム建設の碑
浅瀬石川ダムは、1971年(昭和46年)に着手して以来、18年の歳月と総事業費905億円の巨費を投じ、最新の土木・機械・電気技術の粋を結集し、1989年(昭和63年)に完成しました。 石碑の裏面には、工事関係の会社の詳細 […]

論語
論語(ろんご)は、孔子とその高弟の言行を、孔子の死後に弟子が記録した書物。 儒教の経典である経書の一つで、朱子学における「四書」の一つ。 その内容の簡潔さから儒教入門書として広く普及し、中国の歴史を通じて最もよく読まれた […]

弘前さくらまつり
青森県弘前市、弘前さくらまつり。毎年弘前公園にて、4月中頃から5月初めまで、開催されます。 弘前城公園の本丸の風景、宴会をしています。 弘前さくらまつりの歴史、変遷その1 1715年(正徳5年) – 弘前藩士 […]
津軽の歴史
津軽は、655年「日本書紀」に、「津苅」「東日流」「津刈」「都加留」と表記されています。
中世には「平賀郡(津軽平賀郡)」「鼻和郡(津軽鼻和郡)」「田舎郡(津軽田舎郡)」に分けられ「津軽三郡」と言われた。